楽のらくらくブログ

日常であったことや、感じたことを気ままに書いています

楽しむことしかできない

私は楽しむことしかできない!

 

 

楽しいことしか起きないんじゃなくて、何があっても、私たちはそれを楽しむことしかできないのよ。

 

 

もうね、楽しんじゃってんのよ。

 

 

すべてを。

 

 

気分をぶわぁー!と高く持ち上げられること、

逆にずどーん!と地の底まで叩きつけられること。

 

 

結局、遊園地のいろんなアトラクションを楽しむ客でしかないんですよ、我々というのは。笑

 

 

まずはそこを認めてあげるだけで、すっと客観的になれますよね。笑

 

 

どうしようもできないなら、逆にそれ自体楽しんじゃえ〜!っていう。笑

 

 

嫌ならすっと離れたらええんや。

 

 

 

そんで冷静になったら、状況がよく見えるようになる。

 

 

 

はず。笑

2つの目

私たちは2つの目を持っていると思う。

 

 

エゴの目と真実の目。

 

 

いきなりだけど、もののけ姫っていうアニメ見たことありますか?

 

 

あれに出てくる祟り神はエゴの象徴の神。

 

 

エゴの究極の形。

 

 

狂気の世界しか見えない、狂った目。

 

 

 

一方、あの映画にはシシ神様、というのも出てくる。

 

 

あれは真実の神の象徴。

 

 

生と死、ふたつを併せ持つ神。

 

 

祟り神は、最後シシ神様に命を吸い取られて、ただその狂った目を閉じて、体は横たえられる。

 

 

それだけ。

 

 

別にむごい苦しみが与えられたり、罰を受けることはない。

 

 

ただ、目を閉じて横たえられ、命を吸い取られるのみ。

 

 

こうやって、ひとつひとつのエゴを終了させていって、真実はどんどん大きく広がっていくのでしょう。

世界は一筆書き

奇跡のコースをやっていて、自分の中で複雑に絡まっていた糸がするするとほどけていくような感覚を覚えることがあります。

 

 

それまで問題と見えていたものが、ただ単に一本の糸がよじれて絡まって結び目のように見えていただけだった、ということに気づく瞬間があるのです。

 

 

 

その結び目がそれぞれ独立した存在で私には手に負えない、と感じるとき、私は途方もない無力感を感じます。

 

 

だけど、それは私というただの一本の糸でできていて、すべての結び目は繋がっていると見ることができれば、問題の捉え方も変わってきます。

 

 

 

そして、そんなに複雑に絡ませてしまったのは、私自身です。

 

 

だけど、どんなに複雑に絡み合っているように見える結び目も、全部同じ糸でできています。

 

 

そして、その結び目が解かれていくたびに、私というものの全体がより見えてくるのです。

 

 

その一本の糸は生命そのものです。

 

 

それは複雑に絡んでいるからと言って、私の意思では絶対に断ち切ることができないものです。

 

 

断ち切ったと思って、結び目を見ないふりはできるけど、絶対に断ち切ることはできません。

 

 

ホーリースピリットと共にいる。

 

 

つまり、自我の頭であれこれいじくりまわさない。

 

 

ありのままの世界をありのままに見る。

 

 

 

一筆書きの世界を眺める。

 

 

 

私が苦しんだりイライラしたりさせられる、この世界から救われるためには、ひたすらその習慣を思い出す必要があるようです。

 

 

 

悲しみのベール

私は、なんとなく、世界に悲しみのベールをかけて眺めていたな、という気がしています。

 

 

なにを見ても、うっすら悲しい、みたいな。笑

 

 

そう、自分でも気づかないくらいのうっすら。笑

 

 

でも、その悲しみのベールが剥がれていくと、だんだん視界がすっきりしてきて、真実が見えてきます。

 

 

 

なんとかしないといけないと思っていた現実が、はじめから問題はなかった、という真実に気づき、はっとする。みたいな。笑

 

 

それが、まさに目が覚めたような感覚なわけです。

 

 

 

だいたい、自分に思っていることを、外側の景色に投影して見てるので、外をなんとかしなきゃ!って走り込んで行きがちなんですが、それがトリックなんですよね。笑

 

 

もうこのトリックが、何回でもハマっちゃうわけなんですよ。笑笑

 

 

特に疲れてると、冷静さを見失いがちになりますから、どんどん沼にハマっていきます。笑笑

 

 

そして、私は昨日20年ぶりくらいに盛大にこけました。笑笑笑

 

 

これは比喩ではなく、まじで。笑笑

 

 

びっくりしたけど、本当疲れてたんでしょうね。笑

 

 

 

夜、泥のように眠りました。

 

 

 

朝、起きて、奇跡のコースの本を読んで、ポロポロ涙が出てきました。

 

 

 

私は、自分をまだまだ許せてなかったな、と。

 

 

 

自分を許したい、認めたい、愛したい。

 

 

 

そして、もうすでに許されていて、認められていて、愛されている存在なんだ、ということを常に感謝とともに忘れずにいたい。

 

 

もっと、私は私の人生を純粋に楽しみたい。楽しんでいいんだ!

 

 

 

と思いました。笑笑

こんな心、磔にしてやる!

こんな心いらない。

 

 

こんなに不安と憎しみと恐れ、

妬み、嫉妬、憎悪、嫌悪…

 

 

そんなものにまみれた苦しみと不自由にがんじがらめにされた心はいらない!

 

 

 

キリストのように磔にしてしまえ!

 

 

 

十字架にその身を打ちつけて死んでしまえ!

 

 

 

そして、真実へ導いてくれ!

 

 

 

お願いします!!

 

 

 

ホーリースピリット!!!

手がもげても足がもげても自由でいたい

この世には2種類の意識しか存在しない。

 

 

それは、目覚めた意識か、眠った意識か。

 

 

目覚めた意識は、今見て感じてるものはすべて幻想だと捉えている意識。

 

 

 

眠った意識は、今見てるもの、感じてるものが現実だと疑わず、

それ以外の世界があるだなんてまったく夢にも思わないような意識。

 

 

 

バカ、とか、ブス、とか、

お金があるとか、ない、とか、

才能があるとか、ない、とか、

 

 

そんなものはまったく関係ない。

 

 

 

ただ、意識がどっちを向いてるか。

 

 

 

それだけの違いな気がする。

 

 

 

この世は幻想。

 

 

 

神の子が恐れと罪悪感を投影して見る夢。

 

 

 

夢から覚めちゃえば、別にそこでは何も起こってない。

 

 

 

ちょうど私たちが、夜見てた夢から、朝目覚めるように。

 

 

 

だから、この手がもげようとも足がもげようとも、そのように見えているだけで、実は何も起こってはいない。

 

 

 

自由がほしいなら、この世界の法則を変えていかなくてはいけない。

 

 

 

また、この世界の法則に乗っかっている限り、永遠に自由にはなれない。

 

 

 

この世界の法則の外側に出たい。

 

 

 

その思いを直視して、あとは、夢の外に連れ出してくれるホーリースピリットという存在に意識を預ける。

 

 

 

そうやって、少しずつ、

でも確実に、

今の現実の法則から抜け出して、自由になっていきたい。

夢からの啓示

私たちは棚からぼた餅を、もっと信じる必要がある。

 

 

なんでも自分でやらなきゃいけないわけじゃない。

 

 

 

どんなときも絶望はない。

 

 

かっこつけるな!軽く考えろ!

 

 

状況をシェアしろ!

 

 

 

抱え込むな!

 

 

ひとつの状況にすがるな!

 

 

 

以上、さっき見た、夢からの啓示でした。